全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

感情の世界で揺さぶられないために

「今までにない」とか「猛烈に強い」とかいう、その言葉だけで人々に緊迫感を与える自然の脅威が、連続して日本中いや世界中を震撼させている2018年。人はストレスに弱い。人それぞれにストレスに対する許容範囲のメーターは違うけれど、多くの人は極限状態に陥ると、理性を失った行動に出る。「理性を失った行動」って災害級に怖いことに気づいてますか?やっちゃダメなことを自制することが不可能なんだから、あいつ殺したいと思えば殺っちゃう。短絡的で原始的な人の姿が現れる。歴史と共に積み上げてきた人類の英知が、不安恐怖といった誰もが持ち合わせている感情一つで、いともあっさり崩れ去ってしまう。一人一人がある一定条件(不安や恐怖に憑りつかれる)の元、自ら凶器になる。人類を滅ぼしたい勢力がもしもどこかに存在するなら、ここ狙ってこられたら手も足も出ない。

わたしは以前この目に見えない自滅兵器にまんまとやられて狂っていました。周りの大切な人たちに多大な迷惑をかけてしまったことは否めません。しかし有り得ない奇跡が重なって、わたしは生還しました。みんなが生還できるとは限らない、その難しさも知ってます。「ウツ」という言葉は有名ですが、わたしの最初の″病名″は不安障害でした。四六時中不安から解放されることのない全般性不安障害。そこにパニック障害という発作的な衝動に駆られる極めて危険な病人として烙印を押されました。そして抗精神薬で人としてとても大切な「感性」全てを封印されました。確かに抗精神薬は必要でした。それがなければ破壊的で原始的な衝動を抑えることができなかった。しかしそれは諸刃の剣に過ぎない。どんどん壊れていく自我。もう絶望の沼です。

今世の中がとても揺れているのは、ほとんどこの「不安と恐怖」が原因ではないかと思うのです。お金が無くなる不安。支払えない不安。失う恐怖。これら全てに共通するのは、その不安や恐怖の向こうには「もの」があるということです。もの=物質。お金も手に持てる物質に過ぎません。そして目に見えない「もの」もあるんです。それは命とか権利とか地位とか名誉。これらも無形ですが「もの」の一つです。それがあるとないとでは状況が一変してしまう力を持った「もの」。

精神薬は衝動を抑えてはくれたけど、考え方を変える薬ではなかった。そもそも考え方を変えるお薬なんかないです。さらに考え方を変える治療法なんかありません。不安や恐怖は人類が自ら作り上げた幻想に過ぎない。つまり考え方を変えるのは医学の分野ではない。だから民間療法というものに繋がってくるのです。みんな「医療」と「療法」を混同し過ぎ。

そして、不安や恐怖に憑りつかれる要因として「今は持っている」という大前提が必要です。今、持っているから失くすのが怖くなる。 何なら「中途半端に持っている」という状態が一番悪い。つんつるてんに無くなったら、もう笑うしかない。だってどうにもこうにもなるものすらないんだもん。最強だと思います。無いほど強くでられる状況ってないです。そう、今のわたしは最強です、笑。

そもそも、あるVSない、という二元論はもう不要だと思う。確かに、わたしたちの両親、そして祖父母の時代は戦中戦後から高度成長期を経て、豊かな日本を創っていく時代に必要なこだわりでプライドだったと思います。だけど今はもう、あの時代じゃない。人類の脳だって明らかに発達してるじゃないですか。バブルが弾けてゆとりの世代、この頃から日本人をアホにしてしまおう作戦が始まっていたのではないかと思う。賢くなり過ぎた勤勉な日本人に危機感を覚えた勢力がもしもあったなら、考えますよねきっと。わたしなら考えるなたぶん。

わたしは考え方を変えるために、セラピーを学びヒーリングを習得実践しました。最初はお薬を飲みながら。医療と療法(セラピー)はどちらも必要でした。レイキという世界共通ヒーリング手法を使いこなすために出会った五次元思考という考え方は、わたしの枯れた精神に沁み渡っていきました。

五次元思考実践ガイド

五次元思考実践ガイド

  • 作者: 小宮・ベーカー・純子
  • 出版社/メーカー: 中央アート出版社
  • 発売日: 2008/10/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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今から10年前に出版された本。著者である小宮ベーカー純子氏のセミナーにも通い今のわたしがある。出版された当初は、わたしのような先取り不安症だけに需要があったのかもしれないけど、今この不安と恐怖が蔓延している時代、多くの人にここが突破口になるんじゃないか、と思い紹介させていただきます。

不安に縛られている時間があるなら、そこから抜け出すためにやれることがたくさんある。そこは出口の見えないトンネルでもなかったし、底が見えない沼でもなかった。どん底だと思われる″底″にも、ちゃんと花は咲いて緑が溢れている。何ならむしろ「どん底こそパラダイス」かもしれない。

今年はわたしが住んでいる関西地方に大雨洪水、地震に台風、さまざまな災害が起きています。被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。また不幸にして犠牲になられた方とご家族様には謹んで哀悼の意を捧げます。

今日もわたしは生きています。死に損なったおかげで今日も元気に生きてます。どうせ生きるなら楽しく幸せに生きよう。不安や恐怖に煽られず、自ら創る平穏の中で生きていく。わたしたちは自然の前に無力だけど、無能じゃない。感情に揺さぶられない強い精神があれば、わたしたち人はまだまだ自然と共存できる。ものがなかった時代、ものがなかった文明を生き抜いてきた先人のように。生きてさえいれば、命さえあれば、未来は自分で創っていける。