全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

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9月23日秋分の日。この日はお彼岸の中日でもある。忘れられない日。昨年のこの日、師匠が突然の「引退宣言」をされた。あまりにも唐突でムチャぶりで面食らった。面食らったというレベルを遥かに超えているが、とにかくわたしは突然宇宙空間に放り出されたような、とてつもない浮遊感に包まれた。まだまだ師匠の側で学べると信じていた。あれから一年。まだ一年。恐ろしく長くて早い時間だった。当時は言えなかったこと、グッとこらえていたことがたくさんある。一年経ってブログ読者も少ない今だからこそ、ちょこっとこの一年を振り返って整理してみる。

とにかく宇宙空間に放り出された感覚は、ある意味究極の不安定さをただ漂うしかない無力感に満ちていた。行き先を決めて乗った新幹線が、途中で行き先が消えてしまった。師匠のところに行けばさえ何とかなる。そんな甘えが全てだった。自分のおかれた立場を思い、初めて師匠の負担に気づいた。もちろんそれは承知の上で弟子の育成に尽力いただいていた訳だが、改めて師匠のでかさが身に染みた。小さくて細い体でこれまでどれだけ他人の人生をも背負って来られたのだろうか。そしてわたしは一番甘えていた。それを痛感させられた。師匠は優しい。とにかく優しい。優しいが故に、たくさん裏切られて、たくさん傷ついて、でも一切相手を責めることもせず、一人で抱え込んだ。からの突然の引退宣言。最後の糸が切れた。そこからわたしの立場と視点が180度反転することになる。

師匠がやりたかったこと、伝えたかったこと、成し遂げたかったこと、わたしは一番傍で聞いてきた。師事したのはたった3~4年だったけど濃密だった。実母よりも母であり、姉であり、妹でもあり、まさに師。年下のわたしが言うのもアレだけど本当にかわいらしい女性だ。オンとオフの切換えが凄くて、オフの時はとたんにわがまま甘えんぼになる。それが一旦講座が始まったらキリッと師匠の顔になる。民間療法から人の健康について提唱するのだから難しいことをやってのける覚悟は想像を絶する。一言間違えれば法律に触れる。クライアントの命に関わることもある。それを一身に引き受けて30年。その情熱と重圧は計り知れない。

人はみな最後には「ひとり」だ。「ひとり」であることを唯一共有できる相手として話せるのが楽しみだった。そして師匠もとても楽しみにしてくださった。関西在住のわたしは関東在住の師匠と近くて遠い。講座や助手の仕事につかせていただく時は、いつも寝食を共にして夜中まで語り合わせていただいた。師弟関係を越えて人として。テキストにはない、師匠の言葉や想いをたくさんわたしは記憶している。だからこそ師匠のメソッドを継承することに迷いはなかった。ただわたしは本来その器が無い。そこから全ての苦悩が始まった。しかし幸い背中を押してくれる方や導いてくれる先輩、師匠のボスが尽力くださった。とにかく看板を背負ってまっすぐ立つことが難しくて悪戦苦闘。怖かった。今もまだ怖い。ただ、この一年で怖くて泣いているばかりの自分は卒業できた。最後に師匠が最も負担になってしまった事案については、わたしが新しく作っていく。その覚悟だけはできた。一年かけて、やっと覚悟のみ。まぁいいか。自滅しなかっただけでも自分を褒める。

さて、道はまだまだこれから。ほんの一歩だけ進んだところ。師匠が「ひとり」で立ち向かってきた道を今度はわたしが歩み進める。わたしは「ひとり」で「ひとり」じゃない。師匠の言葉がたくさんある。困ったら悩んだらそこに立ち返れる。師匠の夢に自分の願いも込めて、今日もまた一つずつ積み上げる。クライアントの笑顔を誇りにして。