全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

一人だけど独りじゃない

わたしたちは「組織」に属する。それは幼少期の保育園、義務教育の学校に始まり、就職して会社、何なら皆生まれた瞬間から家族に属し、地域に属して生きている。それはとても安心できて守られた心地よい空間である。しかし反面とても窮屈で縛られる閉塞感を伴うこともある。人は一人では生きられない弱い生き物だから集団生活は重要だと思う。しかしながらの逆側面も理解しておく必要はあるとも思う。

わたしのようにはみ出し願望の強い人間にとって「組織に属する」ということは拷問に近い。問答無用で誰かの言いなりになるのが耐えられない。そうするとそれはてきとーな病名がつけられて世の中的な人格否定をされる。すごいシステムだな日本。みんな違ってみんないい、って金子みすゞさんが言ってたじゃないか。

そんな規定のラインからは外れてしまうわたしだけど、今は全くのソロではない。一人として立ちながら、人と繫がり組織とも関わりがある。組織にがっつり属しているわけではないが関わりがないわけでもない。自由な感覚を維持しながらも良い距離感で組織に携わる。そこには一切の束縛がなければ制約もない。それなのになんで良い距離感の関わりを維持できるか、といえばつまり「相思相愛」という絆があるから。

さてこの「絆」とは何ぞや。Wikiによると、そもそもはわたしが苦手な「束縛やしがらみ」などの意味合いを強く表していたようだが、最近はもう「人と人との結びつき、支え合いや助け合いを指す」方の意味を強く感じる言葉となった。目には見えないけれど切っても切れない強い縁、という、ああわたしがもうどうにもこうにも理性を失いそうになるくらい欲しいものがそこにある。絶対的な信頼とは尊いもの。なぜなら人の感情ほど移ろいやすく不確かなものはない。そんな中で絶対的信頼がこの世に存在するならば、もはやそれは奇跡と言ってもいいのかもしれない。

そして世の中的に人として難アリなわたしが組織に属する、とまではいかなくても関われる理由は、やはり「感謝」があるから。ここで間違えちゃいけないのは「感謝」の替わりの「損得」があれば全くの別物になってくるから要注意。その組織もしくは組織に関わる方に大きな大きな感謝がある。良くも悪くもいろんな経緯があって、その先に生まれた気持ち。反発したり拗ねてみたり、それでもやっぱりそこに舞い戻って最後「感謝」に行き着く。そこまでがっつりと関われた縁にも感謝に他ならないし関わらせていただいたことにもただひたすら感謝。そこに一切の縛りも窮屈さも無い。なぜなら強要されているわけではなく自らそこに志願して関わっているから。強いられたものじゃないから辛くない。

自ら求めて関わりたくなる組織や人と出会えたことで、わたしは個人の壁を越えることができた。そこまでの相思相愛=絆を深めるまでには数々のドラマがある。薄っぺらい経験では信頼関係は築けないと思う。じっくり時間をかけて育てるもの。インスタントでは作れないもの。だからこそ貴重でかけがえのないものになる。唯一無二の存在になる。

一人だけど独りじゃない。だからわたしは強くいられる。組織や他人と良い距離感を保つためにも、しっかりと自分の足で立てる人であろうと想う。どうしても守りたい、大切なものがあるからこそ、一人で立てる人であろうと強く想う。