全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

警報が出ています

警報が出て、開運サロンお休みしました。その代わりに自宅作業がんばります!と望月オーナーに約束しましたので早速。最近のセッションである傾向に気づいたのでその件について。

新幹線を多く利用するわたしにとって先日の車内(無差別?)殺傷事件は脅威だった。その直後に新幹線を利用して名古屋まで遠征する予定があったのでなおさら。新幹線は「走る密室」と言われる。わたし自身、数年前にその事実を思い知らされることがあって、以降いつも利用する時には、どこか緊張していた。ここでもレイキは必須。ほんと使えるレイキ。無事に安全に目的地まで移動できます、というアファメーションをつけて。で、ここで問題になったのが「発達障害」というワード。扱いに困った我が子を持て余し逃げる親、という構図が背景に浮かび上がった。つまり「親子関係の崩壊」だ。

発達障害云々は置いといて「親子関係」に「傷」を抱える人が今どんだけ~?ってくらいに多い。いやもう多過ぎる。かく言うわたし自身、過去そこにいた。かなり粘着力があって切り離すのに相当苦労した。最後はボスからのトドメがあって、ようやく自ら手放せたのだけど、それくらいの衝撃がないと難しいものだった。

たとえば幼少期に何らかの「親子関係」に生じた「傷」はすぐに「痛まない」のが特徴。自分も親になる30代や40代になって、突然それが「痛みだす」。負ってすぐなら傷も浅い。だが時間の経過とともに傷は化膿して確実に悪化している。ひどいと全身に毒が回っている。うっかりするとそこで自分も「毒親」になってしまう。

だいたいが「いい子であろうとする」ことで本当の自分との歪が生じる。いい子、いい人、いい親、いい妻(夫)。人間なんて108つも煩悩があってこそ。なのにキレイごとばかり並べる技術と知識ばかり身につける。ブログ引越してきたのも、そういう空間に同居するのが耐えられなくなったから。もちろん全部がそうじゃないけど、あそこはキレイごとが多い。酷いともう吐き気がするほどだ。

ねぇねぇ、キレイじゃなくてもいーんじゃない?ちょっと前に流行った「自分らしく」って必ずしもキレイじゃないはず。ずる賢い自分がいたり、強かな自分がいたり、それだって「自分らしさ」ならいいやんね。「テヘペロッ」って頭かきながら笑えたらいい。欠点は愛というオブラートで包めば問題ない。

それより大問題なのは赦せず、頑なに受け入れず、排除しようとする動きだ。理解のできない我が子、我が親を、記憶から排除してしまうことに問題がある。「理解ができない」というギフトを受け取ったら、どう咀嚼し、どう味わうのか。また「受け容れてもらえない悲しみ」とどう向き合い、超えるのか。親にも子にも、それぞれの課題がある。そこをキレイな言葉で取り繕って、ごまかすから拗らすんだよ。

警報が出ています。それはたぶんもうあちこちで出ています。もう人目に晒してる場合じゃない。どこで誰がどんな事件に巻き込まれるかもうわからない。世の中を変えるためにも、オブラートという愛をうまく使いましょうよ。愛は決して盲目でも甘やかしでもない。溶かすことができる「方法」なんだということを忘れちゃいけない。

昨日ボスが言った一言が印象深く残っている。FIFAワールドカップの件、「日本は点を取れなくて負けた。だけどサポーターが掃除をして点数を挙げた。だけど勝負の世界はそれじゃ勝てない。掃除して点数を稼いでもピッチで点を取らないと勝てないのよ」と。人生の勝ち組になるには点は取っておきたいところ。スピ系お得意の情感では食えない。肉体を持って生きている限り、物質に落とさないと結果として現れない。上にあがるのはみんな上手くなった。だけどそこで満足しちゃいけない。いったん上にあげたものを、もう一度現実世界に落とし込む。そこまでやらないとダメなんだよ。

警報が出てるからね、もういよいよ備えたほうがいいに決まってる。そろそろもうイイ子やめましょうぜ。土手が決壊する前に。