全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

共に存ること

自分はどこを目指すのか。誰と関わりどんな環境に自らの身を置き、どんなプロセスを経てどこに辿り着きたいのか。要する時間は?最終目的は?わたしは定期的にそんな自問自答を繰り返す。そのための時間を作る。令和に時代が移った、最初の夏至を前に、今またそんなタイミングなんだろうなとぼんやり感じている。

ただ漠然と生きているわけではない。予想外のできごとに遭遇したら、その時にまた考え精査し、時には軌道修正も行う。この一連の作業は必ず一人でやる。いや正確には一人じゃない。自分自身と向き合う。現実の自分、内なる自分。その二人で討論を繰り返す。そこにズレがあるとまず気持ち悪い。さまざまなロスが生まれる要因となる。

最近あるクライアントさんに「精神的自立」について話すことが多い。いつも話しながら自分にも言い聞かせているなと感じている。持論だが、人は一人では生きられない。関わり合って助け合ってサポートし合って、より良い結果を生み出したい。三人寄れば文殊の知恵というが如く、自身では思いもつかないような発想に触れることは大きな刺激にもなる。ただし、そこに依存はしないさせない。

さてこの「依存」について考えてみた。依存しないなら、何になるのか。依存の反対語は「自立」。それは全ての人が目指したいところだと考えている。では、もう一歩踏み込んで、より良い関係性はどこになるのか。そこで降りてきた言葉が「共存」だった。では「共存」の対義語は?と調べたら「排他」とあった。そっかーなるほどなぁ!と腑に落ちた。

「依存」の対義語は「排他」ではない。そこを勘違いすると悲しい結果になる。確かに、わたしは依存を許さないけど排他を求めてるわけでもない。わたしが人と関わる上で目指したかったのは「共存」だ。依存はダメ。お互いに自立していようね。そして共存を目指そうね。これから出会う人たちには、ちゃんとそこを伝えたい。

争うことなく共に生き、共に栄えるーーー「共存」。そこにはきっと相互に尊重がある。プライベートにおいてもビジネスにおいても、何なら親子関係においても、誰かと関わる上でわたしはそこを目指したいし、そう推し進めたい。

そしてその先に「信頼」を築きたい。それは一瞬で作れるものではなく、時間をかけてコツコツと積み上げていくもの。お金で買えるものでもない。慎重に大切に育て上げていくもの。だからこそ価値がある。

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人と関わっていくこと。ただ共に存ること。これも豊かさの一つだとわたしは思う。