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PTA作文を書けなかったお話

怒涛のブログ更新すいません。この人なに急に書き始めて!とかじゃないんです。一番の理由は、こちらよりも日々熱心に書き続けてきたタキツバヲタブログが書けなくなってしまったから。書くことは好きなんで昔から、それをどこで何を書くか、今はそれがココだってことで。

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夏休み前のこと。中学のPTA役員を引き受けている今年、普段より学校行事にまじめです。先日もお達しが回ってきて「親が書く作文、毎年提出が少ないので、役員は提出必須です」だとの事。テーマは「子育てについての思い、他…」だって。これわたしが書くと超絶重くなるんですけどいーんですか??と脳内ひとりツッコミ。その時点でもう書くことは決まっていた。子育てについての思い、わたしには一つしかない。

わたしが大人になって、いや、なる前から、ずっと引っかかってた言葉がある。それは「虐待を受けた者は親になってはいけない」という説。これいちばん最初に見つけたのは何時だったかなぁ。子供ながらに衝撃を受けた一文だった。だってわたし子供がとても好きだから。お母さんになりたかったから。

親による子供への虐待という悲しいニュースは後を絶たない。中には、この人ホントの親ですか?という、目を覆いたくなるような事件だって珍しくない。人間というのは都合のいい生き物で、うちの親はわたしへの暴力をもうすっかり忘れている。忘れているというか認めない。何なら「あの時は大変やったんや」と意味のわからない言い訳をして正当化する。毎晩理由もわからず怒鳴られていたこと、殴られて深夜外に放り出されていたこと、母がわたしを叩くと手が痛いと言ったら父が仕事場から「わたしを叩くための棒」を持ち帰ってきたこと、18歳にもなった娘の顔を蹴られたこと、離婚して憔悴しきってるわたしに「恥さらし」と言い放ったこと、、、どれもこれも忘れることがない。

今ならわかる、それは全部「わたしになら何をやっても許される」という究極の甘えであることを。これ「わたし」であって妹ではないことも興味深いでしょ?大人になり、わたしが癒しの世界に生きるにつれて謎が紐解かれていく。最後に行き着いたのは父のわたしへの強烈な「依存」だ。先ほど「甘え」と書いたけれど、それを通り越して「依存」という答えが出た。そしてそれをわずか10歳で受け入れてしまったわたしの「共依存」。忘れもしない4年生の、とある朝の登校中に、ふと「なんでわたしばっかり毎日怒られるんだろう?」と登校列に並んで歩きながら考えたこと。そして「わたしが怒られることで家族みんなが上手くいくなら、それでいいか」と受け容れてしまったこと。そのとき歩いていた場所、見えていた景色、全部はっきり覚えている。それだけ10歳のわたしには、思い決断だったと同時に覚悟を決めた瞬間だった。

これたぶん全部書くと小説になるよね?くらい、ここまででもはや1000文字を越えている。こんなのがたかが中学校のPTA作文に書けるわけがない。重いって。重すぎる。そして父はまだ生きている。彼を悪者にしたい訳でもないし、母亡き後父も父なりに、わたしが全依存を拒絶したことで努力している。だから、このお話の続きは、いつか父が居なくなってから書くか話すかできたらいいなと思っている。まだまだ親子関係に悩む方に必要な体験談だと思うから。わたしが以降、工夫してきたこと、わが子を妊娠出産したこと、子育てしてきたこと、長男が無事に成人するまで向き合ってきたこと、いま子供たちとの関係など。

とてもとてもPTA作文に書けるわけがない。何なら枚数が足りない(笑)。なのでわたしは提出できなかった。本部役員のみなさんごめんなさい。でもきっといつか、何らかの形で。