全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

人並み以下でも弱者でも

11月の不調の時に、久しぶりにパニック発作が出た。10月には満員電車内で危うく倒れそうになった。冷や汗とか脂汗というか気持ち悪い汗が出て吐きそうになったので途中下車。昨年は2月に車移動中のトンネル内で数年ぶりに発症していたので、不定期だけど症状はあった。おそらくここ数年更年期のホルモンの乱れによる自律神経失調が関係していると自分で見立ててはいるけど、とにかく持病が芳しくない。寝込むような病気ではないけど、それでもわたしには充分不自由だ。そう、寝込むような病気ではない。だけど世の中的には病気なんだ。決してネガティブな感じではなく、ふつーに。わたしにはちょっと、人よりも苦手なシチュエーションがある。「病気は個性」という認識でいる。

わざわざ「病気」というくくりにしなくていい、という考え方もあるのだけど、「病気」ではなくて「個性」として認めるのは悪いことではないと考えている。そして、その時にふと「わたしは弱者の味方であるために不自由を持っているのでは?」と思いついた。

ここで「弱者」というのは「病人=弱者」ではなく「他人に理解されなくて苦しんでいる人=弱者」という認識だ。つまり「普通」と違うことを苦しんでいる人のことを指す。誤解無きよう。

 

わたしは今でも″人並み″にできないことがある。他人があたりまえにできることが、わたしにはどうしてもできない。しかも、不定期にそれがやってくる。普通に電車に乗れる時もあるし、吐き気がして耐えられない時もある。自律神経による指令なので自己コントロールが不可能だ。それが怖くて長年電車に乗れなかった。車にも乗れなかった。それを「広場恐怖」というのだけど知らない人がほとんどだろう。今は、気分悪くなったら次の駅で電車は降りる、車は安全な場所に停めて、しばらく休む。そうすることで回復することを知っている。以前はお薬を持ち歩いていたけど、その代わりにスマホを握りしめる。今はいつでもSOSを発信できる、スマホがお守り代わりになっている。

人並みにできないことがあると、つい「人並み以下」として扱われるし、何なら否定される。それは、わたしのようなものじゃなくても、たとえば「貯金ができない」とか「家事ができない」とか「団体行動ができない」とか、いろいろあるだろう。そのたびに最近ではすぐに「〇〇障害」という病名がつけられて、薬物投与されるのだけど、そのお薬ホントに必要なのかな。たとえば、わたしがパニック発作が全盛期だった頃、確かに発作が苦しい時に、発作を和らげて呼吸しやすくしてくれるお薬は助かったし、とても必要だったけど、それで「発作が起きなくなる」には至らなかった。痙攣が鎮まるお薬は必要だろうけど「痙攣が起きなくなる」お薬は難しいんじゃないのかな。そこには生活習慣とか食べ物(栄養)とか、改善にはいろんな要素が必要なんじゃないかと考えている。あくまで自身の経験上のお話だけど。

もっと言うと「人並みに働けない」人だっている。見た目は普通で健康そうに見えたとしても、その人の内側までわからない。対人恐怖だってあるし、得手不得手だってあるだろう。しかし「できない人」に対して世間は冷たい。なんなら「人間以下」と見下げられることだってある。人間以下ってなんやねん。何が言いたいねんそいつは。マウントとって嬉しいか。なんですぐ人に上下をつけたがるんかな。

↑このように、ずっと底辺を生きてきたわたしは上からものを言う人に全力で抵抗する。というか、抵抗できるようになった。上から圧をかけてくる人に限って、その、さらに上からものを言うと逆ギレするするってこともわかってる。つまりアレだ。言われたくないから先手打ってくるだけのこと。わたしは長いこと底辺で馴染んだおかげで、堕ちることが怖くなくなった。どんだけ堕ちても、堕とされても平気。住めば都。底辺にもお花は咲いてるし、そう居心地だって悪くない。それがわかってからのわたしは打たれ強くなった。いつでもおいで、ようこそ底辺へ。何も無いほど強いことはないし、これ以上堕ちるところがないところまで堕ちきった者の強みだよ。

わたしは、前向きに生きる不器用な人の味方でありたい。なんたって自分だって超絶不器用だし、不器用の代表みたいなもんだから。まっすぐに生きる不器用な人の味方でいたい。天には全部お見通し。だから、足の引っ張り合いとか、自分を上げるために他人をむやみに堕とすやり方は認めない。そんなみっともないことしていないで、自ら努力して自分の実力で上がればいいだけのお話。

偉くなりたいわけじゃない。そもそもが「人並み以下」の人間だから無理。ただし人並み以下の人間だって、工夫すれば苦手を補うことはできる。努力すれば、人よりできる何かが見つかるかもしれない。わたしは、そんな人たちと共に在りたい。それでも前向きに生きたい人と「今日も上手くいったね!」と笑い合いたい。明日のことなんて誰にもわからないのだから、一日一日を丁寧に生きることを積み重ねたい。

f:id:nagomi0716:20191226202638j:image

そんなことを改めて考えた自身の不調体験でした。
考えさせてくれてありがとう。