全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

エネルギーバンパイアによる復讐劇

人には向き不向きがある。

向かないことを毎日続けることは拷問並みの厳しさがある。腹いせに「他人を困らせることで安心できる人」とか「他人の手を煩わせることで満足する人」になって、耐え難い拷問の日々との精神的バランスを保とうとする人もいる。かつてのわたしがそうだった。もう無意識の領域なので悪意さえ気づかない。間違ってるのは相手で自分は正しい。知らない間にエネルギーバンパイアと化して他人の足を引っぱって満足する。恐ろしいことだ。

わたしは自分がそうなっていることに、ある方のブログを読んで気づいた。というか気づけた。「もう"復讐"は止めましょう」という一言で目覚めた。わたしの場合は親に対して復讐をしていた。自分が幸せになれないのはアンタらに押し付けられた数々の言葉のせいだ、と。両親がわたしに"良かれと思って"わたしに押し付けた「教え」は全部間違ってる!ということを、言えないから体現した。言えないから「散々困らせて後悔させてやる!」というのが狙いだった。本当は恐れずにちゃんと言えたら良かった。しかしその狙いは見事に外れる。復讐目的でさんざん困らせても結局誰も幸せになれないことを悟った。目覚めてすぐ親に謝罪した。親は困惑しただろうけど後悔するまでに至らない。わたしは自分のための一方的な復讐の押付けを謝った。エネルギーバンパイアとしての復讐劇に終止符を打つために。

それを機に、わたしは自由を手に入れ、自分の人生を生きる方向に転換できた。依存する親に執着していたのは実はわたしの方だった。いや実際、親は今も依存してこようとするが、わたしが受け容れることをしなくなった。依存共依存という図式が成立しない。させない。わたしは自分を守る術を身につけた。

やりたくないことはしなくていい。誰かが関与した人生なんて充たされるはずが無い。いつも自分と対話し自分の願望や希望を把握して、そのためだけに生きればいい。もしもそれが大切な誰かのため、であったら、その選択を自分の意志でできたのならいいのだ。誰にでも取捨選択の義務があって権利がある。嫌なことは断ち切るのも自分。そう自分に言い聞かせて今日も一日が始まる。