全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

去り際の美学

始まりがあれば終わりがある。有限の次元に生まれてきた宿命。だけど想いはとても柔軟で、終わったと見せかけても終わらない、脈々と受け継がれるものだってある。直接的な接触が無くなっても、想いは消えない。たとえそれが一方通行でもいい。想いは消えない。自ら消さない限り。

人は誰もが進化する。その過程で終わる人との関係性はよくある話。関係が「断たれる」こと自体は悪くない。ただ、わたしがとても残念だなと思うのは「関係が絶たれる」ことだ。

去ることは悪いことじゃない。それが、離れることに罪悪感があった場合、自分は悪くないと主張するあまり、相手を悪者に仕立てあげてしまうことがある。言い訳をすればするほど深みにはまってしまう。冷静な人の目から見れば一目瞭然。いままでありがとう、その一言だけでいいのに。

離れることは悪じゃない。それは親子関係も然り。子供の成長に伴って、いつか子離れ親離れの時がくる。その時に「恩知らず」だなんて、どの親が言いますか?一抹の寂しさはあれど、我が子の成長を喜ばない親はいない。また、そうでなきゃいけない。

わたしにも師匠がいる。先生がいて、先輩がいる。自分のやりたい道を見つけた時、恩師と方向性が変われば自然と離れる。わたしの恩師はどの方も黙って見送ってくださった。そして、その後もずっとわたしの節目には一言お祝いを下さったりする。離れても変わらず見守って下さっていることを感じられるありがたくて嬉しい瞬間だ。

大事なのは去り方だと思う。先に書いたように、離れることに言い訳をするとおかしなことになる。くどいようだが離れることは悪じゃない。自信を持って自らの道に進めばいい。

最近わたしの周りで、次のステージに進まれる方が何人かいらっしゃる。そこに遠慮は要らないし、誰にも気遣いなんて要らないと思う。わたしも自分の居場所でがんばるよ。だからあなたも引き続きがんばって。心からのエールを送ります。