全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

たとえば小説を読むように~最終章は「怒り」

たとえば小説を読むように、日頃の想いをつらつらと書くことができたらいいなぁ、と、はてなブログに引っ越してきました。装飾は極めて少なく、ただ文字だけで、どこまで自己表現を楽しめるのかチャレンジしてみたかった。わたしは長年「怒り」の感情を表現するのが苦手で、今年はそれを克服するための事象が怒涛のようになだれ込んで起きた。読み返せば、ここではよく「怒って」いた。怒りの感情を文字にした。怒りをキレイにまとめようとしていた。んなもん、キレイになんかまとまるわけがないわな(笑)。

 

誰もが経験したことの無い「非常事態宣言」が世界中で起きている。わたしにとって遡れば、昨年秋から既に「非常事態宣言」は起きていた。「怒りの革命」だ。己のストレス発散による父親からの虐待を受けて育ったわたしに、「怒り」という感情は軽蔑すべきことでしかなかった。ましてや「怒り」を誰かにぶつけるなんて言語道断。ぶつけられることで人生の半分を棒に振り、取り返せない後悔を抱えるわたしが、まさか他人にできるはずがない。しかし、そのせいでたくさん侮辱されてきた。なぜなら、何を言われても反撃しないから、敵にするには好都合。結果、自ら虐げられる環境を作り出していた。何やってんだわたし。自分で自分が他人から虐げられやすい環境を作っていた。

 

どれだけ理路整然と怒ったところで怒りは怒りでしかない。時には、感情丸出しにしてみても良かったかな。感情はキレイごとで収まらない。いや、収める必要がなかったのかもしれない。怒り=喧嘩ではない。自分の感情を相手に伝えること。大切なコミュニケーションの一つなのに、わたしは自らそれを放棄していたんだなぁ。そして、自分を大切にしてなかった。

 

恐る恐る相手の顔色を伺いながら「怒る」から、相手はまた逆上する。ぶつけ合いになるからケンカになる。わたしがしたいのはケンカじゃなくて「伝える」ことだ。「感謝」を伝えるように、「怒り」も伝える。「怒り=悪」じゃなかった。

 

父親からの虐待を語るのは、父が居なくなってからにしようと決めていた。しかし時代がこんなに加速してしまったら、もはやそうも言ってられなくなったんだなぁ。そして、父が悪い訳でもない。わたしが「怒り」という感情から逃げてただけのこと。

 

一番奥深くに隠してきたインナーチャイルドを、引きずり出して下さったボスには心から感謝しています。いつも嫌なお役目を引き受けて下さいます。ありがとうございます。

 

長いこと放置して拗らせまくってきた傷の痕を、自ら癒すのに少し時間がかかったけどもう大丈夫。たぶん、もう大丈夫。これが最後の傷のはず。全てが壊れた夜、真っ白な自分になって、これから描く未来に想いを馳せてみたら、アイデアが次々となだれ込んできてさぁどこから手をつけていきましょうか状態(笑)。そっか。わたしはこんなにも自由だったんだな、と改めて思い知る。何でも一足先が好きなわたしらしく、個人的非常事態宣言は世の中に先駆けて解除です。

 

というわけで、2017年から不器用に怒りと向き合ってきたこのはてなブログさんでの更新が今回でラストとなります。史上稀にない読者数の少ないブログでしたが、楽しかったです。そしてこのシンプル過ぎるスタイルが書きやすくて大好きでした。長文厨のわたしには、これ以上ない居心地の良さでした。

 

これからはnoteに書いていきます。新しい形での文字による自己表現を、楽しんでいける場所を見つけました。はてなブログさん、ありがとうございました。そして貴重な読者のみなさんにも、心からありがとうございます。引き続き、今を共に生きていきましょう。続きはnoteで!では!!!