全ては巡ってうまくいく【トーラスクリエイション】

スピリチュアルに軽やかにこの世を生きる

好き!という絶大なエネルギーを発動させる

前にも書いたとは思うのだけど相変わらず「好き!」という絶大なエネルギーに包まれて魅了されて癒されている。「好き!」という気持ちだけで一喜一憂する。そこには計算も打算も思惑も何もなくただまっすぐでストレートな感情が溢れている。自分の「好き!」を語るのにカッコつける必要がない。何ならもう感情ダダ漏れでカッコ悪いくらいの方が、こんなバーチャルな世界であっても響いてくるものがある。いつも言うけど人ってそんなキレイな生き物じゃないから。煩悩は108あって腹黒い。だけどただひたすら自分の「好き!」をありのまま叫べる人は純粋だと思う。まるでそれは子供のように無邪気でピュアでとにかくかわいい。そこに地位や性別年齢という区切りさえ必要がない。さらに「好き!」という感情は盲目にしてくれる。それは言いかえれば無償の愛とも言えよう。アバタもエクボ。ちょっとくらい嫌なことがあっても許せちゃうし気にならない。むしろそんなところさえ愛おしく感じる。この領域までくるとちょっと冷静な目も忘れたくないとは思うものの、それでも「好き!」ってそういうものなんじゃないのかなと思う。わが子なら目に入れても痛くないと思うのと同じように。あ、孫の方が猫かわいがりしちゃうとはよく聞く話。わたしにはまだ孫がいないので未体験。将来どうなるのか自分が楽しみ。

「好きなことを仕事に」というのが憧れで目標でもあった。だけど反面リスクがあることも承知していた。好きなことは仕事にすると純粋に楽しめなくなる、との認識があった。確かにその通りだと思う。ただ好き、だけでは売り上げに繫がらない。ビジネスとして成功させるためには妄想だけでなく現実的でなければいけない。嘲笑されることも多くある。バカにされることもある。わりと堪えることの方が多いような気もする。だけどそこでやっぱり「好き!」だから耐えられる。許せるしアホにもなれる。ただ自分にとっての大切な「好き!」を守りたいから。その一念に過ぎない。

守りたい「好き!」があるって素敵なことだと思う。そしてその対象は人でも仕事でも何でもいい。そう言える自分でいることが大切なんじゃないかなと思う。自分の仕事をただ「好き!」と言葉にしたら、それがプレッシャーだと言われたことがあるのだが、無理に他人に共鳴する必要もないと思う。自分の「好き!」さえ見つけられたら、きっと幸せになれるのだと思う。人生がちょっと、いやかなり豊かになるとさえ思える。そしてできれば他人には到底理解できない自分だけの「好き!」を大声で叫べたらすごい幸せだと思う。そこには他人が介入する隙がない。なぜなら誰かに理解してもらうために「好き!」でいるわけではないから。自分を喜ばせるための「好き!」は尊い。究極の自分軸。

あなたはそれを「好き!」でやっていますか?

わたしはそういう「好き!」を持った人と繫がって生きたい。